徒然なるままに本と日常

生きづらい新入社員が綴る日常と本のこと

うつ病になったきっかけ

今回は、なぜわたしがうつ病になってしまったのか、考え直してみたいと思います。

 

本当のところ、なぜ自分がうつ病になってしまったのかよくわかりません

本を読んだり調べたりすると「ストレス」「環境の変化」という言葉が出てきますが、

わたしにとっていったい何がストレスだったのか、何を無理していたのか、

思い当たる節や改善すべき点はあるのですが、明確に答えが出ていません。

なので、また発症してしまうのではないかという不安がいつもそばにいます。

回復してきたときに、一番ひどい状態だったころのわたしがいて、じっと声を掛ける

タイミングを狙っているような気がするのです。

それでも少しずつ、探っていこうと思います。

 

①頑張りすぎる

わたしは常に全力で頑張っていないと誰にも認めてもらえない、と思い込んでいました。

3姉妹の長女であるわたしは頑張れることだけが取り柄で、それをしないと居場所が

なくなると考えていたのです。

 

・父のこと

父はわたしの学校での成績や普段の様子にあまり関心がありませんでした。

単身赴任をしていたため一緒に過ごす時間も少なかったのですが、「子供への愛情が

ない」というより、子育てに一切かかわらないスタイルだったのです。

そんな父が褒めてくれるのは「皆勤賞」という学校に一日も休まず行くことだけ。

なんだかんだで根が丈夫なわたしは、父に認めてもらうには頑張ってとにかく学校に

足を運べばいいのだと頑なに思っていました。

そんなこんなでわたしは、自分のコンディションが悪いと訴える方法もわからず、

そもそもそれを自覚する感覚すら薄れていきました。

 

・母のこと

母が子育ての全てを握っていたこともあり、一方母に認めてもらうには、勉強を

頑張るしかないと思っていました。大事なのは、母は決してわたしたち3人の娘に

順番をつけたり格差を産ませたりしませんでした。常に平等で「お姉ちゃんだから

こうしなさい」と言われたことは一度もありません。しかし、もしかすると、

だからこそ、他の妹たちと自分の差別化を図るために、頑張らなくてはいけないと

考えていたのかもしれません。

わたしは勉強だけでなく、ご飯の食べ方やお手伝い、言葉遣いやふるまいまで完璧に

しようといつも家の中で緊張していました。

もちろん、当時のわたしにはそんな感覚はありません。生きていくために必要なことだったのです。

 

②助けてと言えない

上記のことも相まって、わたしはヘルプの出し方を知らないまま育ちました。

何もかも自分で考えて、自分で解決することが一番偉くて、大人だと考えていたのです。

誰かに頼っても弱みを握られる、意味がない、どうせ伝わらない、どうやって

話せばいいのかわからない・・・。

そんなこんなで、わたしは困った時に「今こんな状況なんだけど、助けて」と

いう、という選択肢すら頭の中から消え去っていたのです。

 

☆さいごに

これを読んでくださっているみなさんは「セルフ・アドボカシー」という言葉を

知っていますか?

それは、「自分で自分の意思を発信していく」ということです。

発達障害のある子供の意思や必要な手助けをその親や介護者がしていたのですが、

それをその子供自身にさせてみよう、という考え方のことです。

 

発達障害のある小中高生向け 放課後等デイサービス TEENS に詳しいことが
記載されていたので抜粋します。
  • 『セルフアドボカシー』とは自分に必要なサポートを、自分でまわりの人に説明して、理解をえていくための活動のこと
  • どういうサポートが必要か伝えるときは、その理由も必ず説明しよう!
  • セルフアドボカシーはフェアに挑戦していくためのもの!

つまり、自分で困ったことや、してほしいことをちゃんと伝えて、伝えられた人も

何の気兼ねも気負いもなく、誠実に対応していくことです。

これはわたしのように精神疾患を抱えた人にも、また健常者にもいえることで、

これからの社会を生きるヒントになると思いませんか?